夭折

昨日、行ってる学校のクラスで10メートルの紙に習字をした。『好きな文字でも言葉でも、なんでも書いていいよ』と先生から言われたので、私は夭折と言う言葉を選んだ。夭折は、『ようせつ』と読む。意味は、若くして死んでしまうこと。なんでこの単語を選んだのと言うと、単純に最近見つけた言葉で一番かっこいいと思ったからだ。

 

周りも自分も含め、若い人は早死にすることに若干の個性や希望を見出していると思う。私が初めて映画館に見に行った映画「ティム・バートンのコープス・ブライド」の悲劇のヒロイン、エミリーは花嫁姿で目やらなんやら腐っていても綺麗だし、何より死後の世界にいる人々は多少の後悔、恨みが垣間見えていても、それ以上に自分の終わりなき死後を楽しんでいたし、肩の荷が降りていて悩み一つなさそうだった。5歳児の私にさえそこは楽園に見えた。周りもすぐ死にたいと言う。

辛くなったらまずは死ぬことを考える。マイブームとして名高いねこぢるは31歳で自宅で首をくくって死んだ。山田花子も飛び降り自殺した。だめだ、メンタルヘルスの崩壊は決して美談にしてはならないし、ましてや人様の死因なんて考察するのはいけない頃なんだ。(そうしないと気持ちの整理がつかない時もあるけど)

 

でも、27クラブと言う27歳で死亡した俳優や歌手の括りが存在する。

でも、若くして死んだら自分もそんな何かの殿堂に入れる気がしてくる。

でも、自分が一番綺麗な状態で人生の区切りをつけたいと願って死ぬのは潔い気もしてくる。

 

 

実は1年前、ちょうど留学する直前に死のうと思ったことがあった。

なぜなら自分は幸せの絶頂にいたからだ。胸を張ってそう言えた。夢やら希望やら余裕やら、一年前の自分は全てを持っていた。

 

でもたった2ヶ月で現実と越えられない壁を目の当たりにした。

ここに立っている私以外の人間は、私の頭がかち割れるほど悩み、苦しんでいる問題など存在しない世界に住んでいた。

 

この状況でこれ以上何を支払えばいいんだ?

何をどうしろと?

努力すれば報われる?

 

この世のシステムに気づいてしまい、やがて食べ物の味は消え失せた。

 

 

 

 

 

 

努力して成果を認められることに疲弊し、全てを恨んでここに流れ着いてしまった。今の自分に何が残っているんだろう?

 

一年前持っていたもの、それもこの20年間耐えて耐えて培ったもの全てをドブに捨ててしまった。何より死ぬタイミングがあったのに逃してしまった。まるで道端に落っこってる、めぼしい活躍ができなかった不発弾だ。流れに乗り遅れたみたいでとっても生き辛いのになんでまだ爆発できないんだろう?

 

 

 

齢20歳の自分はまだ夭折を諦めきれない。おしまい